2024年08月15日
不戦の誓い
10数年前だろうか、まだ私が宮口で飲食店を経営しているころ。
当時、特養に入所しているという80歳代後半と思われる方が度々来店してくだっさった。健康そのもので、特養からいろいろな史跡などを巡っている、インテリジェンスあふれる方で、青春を謳歌しているイメージの方だった。
ちょうど8月の時期だったのであろう、その方と戦争の話になった。
「僕は小さいころ、木から落ちて右耳が聞こえなくなったんだ。徴兵検査のとき耳が聞こえないから不合格になってね。その時は本当に悔しかったよ。」
それまで戦争にほとんど興味がなかった私だが、その時から戦争って何だったんだろうかという疑問に駆られた。
インテリと思われるそのような方であっても戦争に行けなかったことを70年ほど経っても悔しく思っている、戦争という時代はいったい何だったのだろうか。
いろいろな本を読んだ。太平洋戦争以前の日清、日露についても勉強した。海外には行っていないけど国内の戦争遺構といわれるところにも再三足を運んだ。
知覧の特攻平和会館や鹿屋の航空基地司令館にも足を運んだ。
そして私のなかで、「先の戦争は間違いだった」ということが明確に結論付けられた。
いまだに世界では戦争、紛争が続いている。日本がドイツが先の戦争の教訓を生かし、不戦を訴えていくべきだろうと思う。
当時、特養に入所しているという80歳代後半と思われる方が度々来店してくだっさった。健康そのもので、特養からいろいろな史跡などを巡っている、インテリジェンスあふれる方で、青春を謳歌しているイメージの方だった。
ちょうど8月の時期だったのであろう、その方と戦争の話になった。
「僕は小さいころ、木から落ちて右耳が聞こえなくなったんだ。徴兵検査のとき耳が聞こえないから不合格になってね。その時は本当に悔しかったよ。」
それまで戦争にほとんど興味がなかった私だが、その時から戦争って何だったんだろうかという疑問に駆られた。
インテリと思われるそのような方であっても戦争に行けなかったことを70年ほど経っても悔しく思っている、戦争という時代はいったい何だったのだろうか。
いろいろな本を読んだ。太平洋戦争以前の日清、日露についても勉強した。海外には行っていないけど国内の戦争遺構といわれるところにも再三足を運んだ。
知覧の特攻平和会館や鹿屋の航空基地司令館にも足を運んだ。
そして私のなかで、「先の戦争は間違いだった」ということが明確に結論付けられた。
いまだに世界では戦争、紛争が続いている。日本がドイツが先の戦争の教訓を生かし、不戦を訴えていくべきだろうと思う。
Posted by はままつ88オーナー at 19:16│Comments(0)
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