2021年05月07日
親がビビりすぎ? プログラミング教育

「保護者からは、『子どもが授業に付いていけるのか』『自分には教えられない』などと不安も聞かれます」とありました。
ロボット教室の保護者の方も、プログラミング教育に不安を抱いているかたは多いです。おそらくプログラミング的思考というのとプログラミングを同一視しているのだと思います。
文部科学省は「プログラミング的思考」を養うことが狙いであって、コンピュータやタブレットでプログラミングすることは、その一つの手法に過ぎないと思う。
そもそもプログラミング的思考ってなに? おそらく明確な定義があるわけではないと思います。新聞の記事には難しいことが書いてありましたが、難しいことを書くから保護者が不安になるんだと思います。
私見ですが、プログラミング的思考とは、「なぜ?」、「どうして?」を追求していくことだと思っています。
家庭科で目玉焼きを作る授業があるとしましょう。
「まずフライパンにサラダ油をひき、火にかけて熱しましょう」
-なぜサラダ油をひかなければいけないの?
「フライパンに玉子を割り入れて、ふたをしましょう」
―フライパンにふたをしてから玉子を割り入れたらだめなの?
「その時、火は中火にしましょう」
-強火の方が早く焼けていいと思うんだけどだめなの?
そしてその理由が明確に言葉にできることが必要になります。頭の中で漠然と思っているだけでは、細かい部分があいまいなままになってしまいます。言葉に、文章にすることができればどこが分かっていて、どこがはっきりわかっていないかが明確になります。
そして目玉焼きが焼けるようになったら、次に肉を焼く機会があったときに、目玉焼きを焼くときにはこうだったから、肉を焼くときもこうすればいいんじゃないかな、というアイディアが浮かんでくると思いますし、そして実践すると目玉焼きと同じでよかった点、目玉焼きと同じにして失敗した点があることに気づくでしょう。そしてさらに疑問がわいてきます。なぜ目玉焼きと違って、肉を焼くときはここで失敗したんだろう。
「なぜ?」、「どうして?」 ⇒ これこれこういう理由だから ⇒ じゃあこうすればうまくいくね
そのように考えていくことがプログラミング的思考を養うということであり、普段我々がやっていることをもう少しだけ厳格にしたものだと思います。
自分はプログラミングをしたことがないから教えられない、というのはおそらく間違った考え方なのでしょう。
Posted by はままつ88オーナー at 18:51│Comments(0)
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